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2014 凱旋門賞 結果コラム

勝つ気の見えない騎乗が示す中央騎手界の危機

2014年度の凱旋門賞は「トレヴの連覇」で幕を閉じた。
トレヴは古馬になって斤量増に戸惑ったせいか、近走成績は良くなかったもののここ一番で実力を発揮した。
鞍上も相当苦心していたようで、4度目の制覇にも関わらず歓喜に目頭を押さえていたジャルネの姿がとても印象に残った。

これに引き換え、日本馬3頭に騎乗したジョッキーたちは馬に満足な競馬をさせられなかった。何より勝つための位置取りすら取れなかった。
3頭ともスタートから後方に位置取り、福永だけはずっと内で我慢していたものの横山典と川田は最初から直線勝負のコース取りだけを考えていたらしく最後まで外目を追走する競馬しかできなかった。
お陰でレースが終わった後、『なぜ普段行っている団体(徒党)競馬をしなかったのか?』の疑問が頭に残った。
馬の能力は十分通用できるものを持っていたので『スタート後の位置取りが逆に幸いするように!』との願いで観戦していたが、結果的には馬の能力を発揮させられずに白井競馬学校の下手さだけが浮き彫りになってしまった。
たしかに今回の3人は“所詮は武豊より技量なし(=馬を勝たせるだけの技術なし)”なので今回のような位置取りになる事はある程度予想はできた。だが、だからこそ誰か一人でも優勝に近付けるために日本馬同士が徒党を組む競馬をするものと私は思っていた。そうしなければ負けるのは当然である事は彼らの技量からも分かっていたからだ。
ところが、蓋を開ければ3人がそれぞれ好き勝手な競馬をしたのだから『これでは勝てるレースも勝てない』のは至極当然の話である。
今回のような位置取りしかできなかった時点で勝ち負けできない事が一目で分かるような低レベル騎乗しかできない根源に、藤田騎手が暴露本として書いた“騎手界に蔓延する不条理がある”のは否めない。
騎手生命を捨てて「騎手界の不平等【=技量に見合わないのに良い馬に乗れる差別】があるからこそ結果的に騎手のやる気が萎える事で騎手数そのものが激減する事態を招いている」と説く彼の発言は実に正論である。
騎手はアスリートとして結果を残している者が優遇されるからこそ努力しようとする気持ちが起こるのであり、親が調教師だから、親が天才だったから、親がメジロのお抱え騎手だったからなどの“実力ではない基準”で優遇されているのだから、こんな世界のどこがスポーツなのかと早々に騎手に見切りをつける者が出て当然だろう。
また、何よりこのまま現在の騎手システムを続けていては凱旋門賞に馬を送り出そうとする馬主も生産者もいなくなるだろう。なぜなら、凱旋門賞のような世界的大レースは自国の騎手でなければ勝てない事を「スミヨンによるオルフェーブルの不可解な斜行2着」ですでに示されているからには、外人騎手に頼った今の中央騎手界では【=正確には白井競馬学校上がりを優先する主催者管理による中央騎手界】では、わざわざ大金はたいて大レースに挑戦する馬主や生産者が出てくる方がおかしな話になるからだ。
事実、外人騎手が途切れる事なく来日しているのは、元地方騎手である岩田や内田博や戸崎のような白井競馬学校上がりではない騎手たちに活躍されてはメンツが立たないと考えているJRAが、あまりに不甲斐ない白井競馬学校上がりに嫌気を差した生産者・馬主さんたちの意見を仕方なく取り入れて取っている処置の結果なのである。

つまるところ競馬学校など、単なる資格取得機関、レースにおける騎手の資格を管理する機関として存在すれば十分なのであり、あとは昔のように日々騎手たちが厩舎で馬に触れる事で競馬を学習していく方が遥かにここ一番に勝てる騎手が育てられるはず。
厩舎で学ぶからこそ、馬の気性、助手たちの苦労、調教師の狙いなどを騎手は学習できるのであり、この道理から外れて(ただ順番で乗る馬が回ってくるだけの)システムでは勝つための競馬など覚えられないどころかその意識すらなくしてしまうのは当然である。
だからこそ、外国人騎手に太刀打ちできない池添・福永・横山典・武豊のような“まず縁故ありき”の騎手ばかりが井の中の蛙として勝星を積んでいるのだと言われても誰も批判できないのである。

引退した安藤勝、岩田などが中央競馬でも即座に通用しているのは、昔の中央騎手たちが助手や先輩騎手にヤキを入れられながらも当り前のように身に付けてきた“日々馬に触れる事で覚えられるもの”を彼らが経験しているからであり、白井競馬学校上がりがまず学校の机の上で覚えた知識が中心になっているのに対して実際の馬の個性を把握する体験に富んでいるからこそ“どこぞのバカ息子が潰しかけた馬”を年度代表馬にまで勝たせたのだとしか私には考えられないのである。
つまり、実際のレース前に馬の特徴を把握できる実体験を多く積んでいたからこそ通用できた・できている
のである。
この“騎手としてどころかスポーツマンとして持たねばならない最低限の学習と覇気”に欠けているからこそ、白井競馬学校上がりは結果的に親の名声が優先されるだけになり、引いては騎手全体のやる気を消沈させる傾向を生んでいるのである。

私は提言する…『今こそ元の厩舎管理による騎手育成体制に戻すべきである』と!
そうでなければ、海外に挑戦しようとする馬主・生産者(競馬振興を願う協力者)はどんどんいなくなり、外人騎手に席巻される事でよりやる気が萎えて辞めていく騎手もどんどん増え、最後には競馬運営そのものまで衰退する事になるだろう。

とにかく、まず下手なのに勝星を積んでいるような騎手への優遇を止めるべきであり、後はキチンとここ一番で結果を残している騎手に良い馬が回ってくる「実力主義に準じた騎乗配置」を取るようにすべきである。
また、今流行りの仲介人など2流騎手以下を担当させる程度で十分。そもそも、馬に直接触れていないマスコミ上がりの者たちが騎手の乗り馬を手配するなど道理に適っていないのだから。
JRAは、今こそ好走させた馬より潰した馬の方が遥かに多い者など「百害あって一理なし」である事を自覚すべきであり、馬主でもない第三者が騎乗馬を手配する不可解なシステムなど即座に改めるべきなのである!

読切感謝!参考になれば幸いです…m(祈)m
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名手と凡才の違い

メイン前に見た腕の差

本日09/23(火)、船橋競馬場で日本テレビ盃(第11R・1800m)が行われている。
(このコラムをアップする頃にはレースは終わっているだろう…順当なら戸崎(クリソライト)が勝っていると思うが…)
そんな中で行われた第10レース「秋風スプリント(1000m)」は、“名手と凡才の腕の違い”を示す好例な結果となった。
レースは圧倒的人気の真島騎乗馬がスタートから逃げ、一発先行した穴馬騎乗の増田が2番手につけ、これに並走する形で上位人気の澤田騎乗馬が追いかけ、これを追走する形で石崎駿が上手く内に切れ込んで直線に入った。
逃げる真島の馬は誰が乗っても勝てる馬らしく直線で番手以下を突き放すと、ムリ先行で直線でタレる増田を交わした澤田と石崎駿の競り合いが続いた。すると、道中5番手の内ラチを進んだ的場騎乗馬がポッカリ以上に開いた内を突いて伸びると澤田と石崎駿の競り合いを尻目に2着に飛び込んでしまった。
これこそ“名手と凡才との違い”を示す所で、11番枠スタートながら直線に入るまでに上手く内に潜り込んで澤田に競り勝った石崎駿は“そこまでは良かった”のだが、直線で有り余るほどに内ラチを空けてしまう辺りが凡才である事を示しているように見えた。
せっかく道中で好騎乗しても最後にキチンと結果として残せるか否かが名手と凡才との差であり、人気薄で3着に食い込んだ石崎駿も決して下手な騎乗ではなかったのだが、内を突かれて3着になる辺りが“所詮石崎隆の息子”としか評価されない所以なのだろう。

これは現在の中央競馬のジョッキーたちにも言える事で、彼らは大変頭は良ろしいものの、所詮は頭デッカチか、関係者の縁故でジョッキーになった者のため、たとえ好騎乗しても最高の結果(勝利)に結びつけるために必要な“プラスα=もう一つ上の好判断”ができないのである。
(逆に道中1ヶ所でもモタつくと全く結果を出せなくなるほど)
今回の石崎駿が見せた好例こそが、せっかく見せ場を作っても結果的には見せ場だけの好走までしかできない凡才の証しとしか私には見えなかった。

ちなみに、いま丁度第11レースが終わったが、グレープブランデーに騎乗して5着で終わった浜中には、「ちょっと情けなさ過ぎる」としか言えないほどひどい騎乗ぶりだった。
ある意味、これも白井競馬学校上がりジョッキーがよく見せるお粗末この上ない騎乗の好例である。
道中で同じ中央馬ダノンカモンにマクられても何もせず、ただでさえ近走成績の良くない騎乗馬なのに同馬を好走させようとする姿勢が全く見られなかった。
これは中央・公営問わずよく見られる“勝ち目のない馬に乗ったジョッキーがただレースの流れに乗って馬を1周させるだけ”の敢闘精神の欠けた騎乗である。
対して、タレるのも厭わずに果敢に逃げて3着に残った森泰斗の方が何倍も勝負意識が高かったのは誰が見てもすぐ気付くはず。
たしかに勝ち馬は調子の面でも抜けた存在だったので浜中は“あわよくば2着”と言う考え程度だったかもしれない。だが、それならなおの事、近走の成績が良くないからには逆に大敗してでももっと積極的な競馬をすべきである。
それをしなかったからには、いくら浜中が一流ジョッキーだとしても「不甲斐ない以上に情けない・だらしない」としか言えないだろう。

また、今回の浜中のような競馬を見ると、私はいつも名手と凡才の違いは「レースに臨む意識とレースを組み立てる順序に差がある」と思われてならない。
名手たちは、「どうすれば勝てるか」を考える時、トップでゴール板を駆け抜ける事を思考しているように見える。対して凡才たちは、道中の騎乗の仕方から考えているようにしか見えない。
だからこそ凡才たちの敗戦コメントの大半が、道中の位置取りが悪かった事(=暗に「馬の調子が悪かった」と遠回しに言ってるようなもの)ばかりなのかもしれない。

(たしかに人気馬がコケる理由の大半は厩舎の仕上げミスである。よほどジョッキーが下手くそでもない限りは。それを言う訳にはいかない点は騎手に同情する!)

たしかに道中の位置取りをスムーズにする事が勝利条件なのだが、問題は、そこから如何にトップでゴール板を通過するかを考えて騎乗しなければならない事である。つまり、騎乗意識・姿勢として道中の位置取りを考えるのは順当なのだが、それはあくまで途中経過であり、そこから何をするかが好結果に結びつく要因と言う事。
したがって、「道中の位置取りが悪かった事を敗戦理由にできるのはあきらかな不利を被った時しかない」と言うレベルで私はジョッキーを見ており、そのレベルに達していない者が多々見られるようになった最近のジョッキーたちに対して情けなさを感じてしまうのである。
たしかに100%勝てる馬に乗る事などほぼあり得ないのが競馬なので、いくら人気馬であっても負けるのは仕方ない。
しかしながら、その敗戦理由が道中の位置取りの悪さを挙げて欲しくないのである。なぜなら、今の未熟なジョッキーたちは、今回の浜中のように何ら対処もしてないのに“道中の経過を敗戦理由にする事”ばかりコメントするからだ。

(やはり競馬学校の中では武豊こそが筆頭&代表騎手なので)これは「武豊TV」の影響かもしれないが、私が見た所では“大方の者が対処できなかった理由”としてレースの経過を敗戦理由にしているのが大いに不思議でならないし、プロとしての資格がないように思われるのである。

さきほど終わった日本テレビ盃の浜中にしても、ローズSにおける福永にしても、本当に馬に全力を出させる競馬をしていないように見えるからには、“彼らが名手ではなく単なる凡才でしかない”と思って当然だろう。
おそらく福永や浜中などより、森泰斗や的場文男、あるいは品行不方性ながら御神本の方が“騎手技量はあきらかに上回っている”としか私には思えない・・・

読切感謝!
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2013凱旋門賞 結果コラム

2頭の結果と不足材料

“偉業ならず”…オルフェーブル2着・キズナ4着!
優勝馬トレヴィに突き放された結果だけを見るならこの一文で終わってしまうことだが、当コラムを読まれたことのある方でなくても、こんな一言で片付けられない様々な背景・状況があることはすぐに気付かれるだろう。

今回の挑戦において、まず一番に言わねばならないことがある。それは、オルフェーブルもキズナも全力を出した素晴らしい走りができたということ。そして、この両馬を送り込む努力を尽くした関係者には勝ち馬にも優る賛辞を贈らねばならないということである。
両馬ともに前哨戦を勝ち、「アウェイ以上の不利=完全敵地」と言えるロンシャンの地でともに人気の一角を占めるという状況で臨戦しているだけでもすでに偉業なのである。
それだけに勝てなかったことへの落胆は大きいのだが、ほんの10年前にはこんな日が来ることなど考えられなかっただけに、“まさかの日本馬1・2”という夢まで見せてくれたことには賛辞以外の言葉は思い浮かばないだろう。
たしかに今回は夢で終わったが、欧州(フランス)の意地と権威から欧州馬以外に勝たせる訳にはいかない凱旋門賞(勝つことだけならアメリカの方が遥かに勝ちやすい)という、世界一厚い壁に向かってあくまで挑戦し、もう一歩で偉業達成・奇跡の華を咲かせようした日本生産界の覇気の高さこそ、夢に向かって挑むことの大切さを我々に伝えていると言える。

たしかに過去にも凱旋門賞で好走した日本馬はいた。
特にエルコンドルパサー初の2着は、当時の年度代表馬がスペシャルウィークではなく同馬だったことからも大偉業であった証拠であり、しかも、蛯名正義が鞍上にも関わらず僅かの差だったことからも本当に惜しいと感じさせられた。
ただし、エルコンドルパサーは外国産駒であり、まだまだ日本生産馬が太刀打ちできるレベルでないレースであることも明らかなった。

次の2着馬がナカヤマフェスタで、同馬はそもそも大穴だったため多分にマグレの要素は強かったものの、初めて日本産駒が凱旋門賞に2着したという大きな意味合いを持つ馬だった。
同馬も鞍上が蛯名正義だったことで、その腕に見合わない結果に当初は『蛯名は欧州向きのジョッキーなのか?』という何の脈絡もない思考を抱いたものだが、今思えば、“そもそも2着になった2回ともが奇跡だった”と考えれば大いに納得できる結果【こんな騎手には負ける訳がないと一流騎手が舐めてかかったから2着にもぐりこめた=一流騎手たちの油断】であり、同馬の2着が意味する価値は、この程度の騎手でもここまでやれる日本生産馬は強くなっているという生産界にとっては大きな期待を抱かせたことにある。

そして、過去の不足を補って余りあるとして日本中の期待を背負って挑戦したのがディープインパクトだったが、ここで予想だにしなかった事実が判明する。
それは、日本競馬史上最高に技術ある騎手と思われた武豊が、まさか世界に入ったら凡才でしかなかったことに気付かされたこと。
ディープインパクトは紛れもなく日本一の馬であり、当時の欧州陣営も同馬の潜在能力は十分に認めていた。だからこそ、同馬に能力を発揮させない競馬をさせるべく武豊に先手を取らせ、全馬のマトにする戦略で同馬を3着に貶めたのである。だからこそ、勝ち馬が人気薄で漁夫の利優勝馬だったのだ。もちろん鞍上は名手(ルメール)だったが…「もしも」があれば、引っ掛るとか考えずにディープインパクトのペースで走らせてやれば良かったと、おそらく当時の武豊自身が一番思っただろう。
つまるところ、たとえ馬の能力では勝てなくてもディープインパクトの弱点を突けば勝たれることはないと考えた作戦が見事にハマった【日本側からすれば見事に嵌められた】結果が3着だったのであり、それだけ欧州陣営は日本生産馬の実力はすでに世界レベルに達していると見ていた訳である。

そして昨年のオルフェーブル2着。ほぼ万全を期して臨んだ結果、まさかのあの不思議な直線抜け出し後のバテ斜行。
私は今だに『あんな負け方があるのか?』と不思議でならず、悪い想像から『やっぱりスミヨンも欧州人』という発想が頭から消せなかった。
それでも、日本馬が凱旋門賞をいつ勝ってもおかしくないレベルに達していることを証明してくれたことで今回に至った次第である。

そして、今回の結果を見て、なおさら強い思いを抱かされた…
それは、日本生産馬が世界中を席巻する状況にならない限り、現状のままでは凱旋門賞を勝つことは厳しいと言えることである。
たとえば、今回もオルフェーブルの鞍上にはスミヨンを起用したが、いくら彼が欧州では異端児扱いされているジョッキーだとしても、母国を尊重する気持ちがあるからには手控えるつもりなどなくても自然引け目を覚えることは察せられるところ。手抜きなどという悪意はなくても、ここ一番死ぬ気で馬を追うという心を求めるのは酷な要求だろう。
だからと言って、池添が乗ったら2着すらも覚束ないことは阪神大賞典でオルフェーブルに捕まってることしかできない騎乗を見ればあきらか。
だからこそ、武豊の一発に期待したのだが、所詮は競馬学校の卒業生であるからには比較すればスミヨン以下の腕しかなく、オルフェーブルとアンテロ(ペリエ)にも負けてしまったのである。

つまるところ、日本人騎手が乗る日本生産馬でなければ勝ち負けする域に達することはできないということ。それも、外人騎手と同等技量の騎手で臨まないと凱旋門賞を勝つことはできないということ。
したがって、競馬学校における非実力主義が罷り通っている現状を打破しない限り、日本産駒は外人ジョッキーの腕に頼るしかなく、外人騎手に頼るからには国家的威厳を誇りとするフランス凱旋門賞を勝つことはできないことをイヤでも認識しなければならない。

おそらく今後も馬の能力では十二分にチャンスは訪れるだろうが、こと凱旋門賞はフランスという威厳を重んじる国が容易に他国馬に勝たせる訳にはいかないレーシングスピリットを持って施行されているレースであり、そんな破格に重みのあるレースを競馬学校出の中央騎手で勝とうなど高校生がメジャーリーガに勝とうとするようなもの。何しろ、思いっきり油断してもらっても蛯名の2着が精一杯であることがそれを証明しているのだから!

どんなに夢に近づけても、アスリートとはとても思えない思考と技術しかない騎手たちが易々と勝星を稼ぎ、おまけにここ一番では馬券になれば責任を果たしたと思ってコメントしているようなレベルでは到底不可能である。

そんな中、唯一中央騎手(日本人代表)として凱旋門賞に騎乗できる腕があるとすれば、誰をおいても今は岩田康しかいないだろう。メルボルンCも香港スプリントも元の主戦騎手では到底勝てる訳などなかったからだ。
もちろんM・デムーロが帰化して乗ってくれるというなら話は別だが、M・デムーロも生まれはイタリアであるからには欧州の威厳に潰される可能性は高く、外人である彼にそれを望むのは今回のスミヨンとなんら変わらないものだろう。ならば、今は岩田康しか日本代表として送り込める騎手はいない。

今週の京都大賞典の結果には驚かされたものの、競馬学校の未熟者たちを優遇しすぎていることがあからさまになった毎日王冠の結果にはほとほと情けなさしか湧かず、そこにキズナの4着を見てしまっては、是非ともオルフェーブル、キズナ、エピファネイア【特にエピファネイアには岩田康騎乗を期待する…今の騎手は最低のジョッキーなのでエピファネイアは破格の結果を出せる可能性が高いから】のいずれかに彼を乗せて凱旋門賞に挑戦すべきであると騎手を見る目のある方なら誰もが共感できるはず。

最後にこれだけは断言しておく…実力主義でない騎手界を正常に戻さなければ絶対に凱旋門賞など勝てはしないと!

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2012年 中央競馬総括コラム

生産界と騎手界のギャップを埋めるには…

ルーラーシップ=クイーンエリザベスⅡステークス(香港)優勝。
ロードカナロア=香港スプリントS優勝。
そして、オルフェーブル=凱旋門賞で大惜敗2着。

今年も海外で活躍する馬が現れて日本産駒の優秀性を世界に表現できたのは誇らしい限りである。
特にオルフェーブルの凱旋門賞2着など、敗れたと言えども“もう一歩で偉業達成”を感じさせるものであり、夢が現実として見えてきたことを如実に表した最高のパフォーマンスだったと言える。

現在、日本の生産界は不況下から各地方競馬場の廃止が相次ぎ、自然と生産数の減少が続いている。それが却って厳選思考を呼んで質の向上につながっているのかもしれないが、本来なら生産数の減少は“土台の弱体化→質の低下→競走馬の弱体化”となるものである。
ところが、その常識を覆して伸張を続けている日本の生産界は本当に目を見張るものがある。

そんな生産界の伸張とは逆に、低迷に陥っているのが国内乗り役の勝負意識の低下である。

上記の海外活躍馬の鞍上もロードカナロアは岩田康誠だったものの、ルーラーシップはリスポリ、オルフェーブルはスミヨンという外人ジョッキーの騎乗によるもの。
事実、今秋の主要G1においても、天皇賞(秋)はM・デムーロに蛯名のフェノーメノが足元を掬われ、ジャパンCは池添乗り戻しのオルフェーブルが岩田康のジェンティルドンナに競り負け、朝日杯FSは横山典のコディーノがこれまたM・デムーロのロゴタイプに最後まで粘られるという格好で敗れ、トドメの有馬記念は2・3・5・6着まで外人ジョッキーに占められるという「鞍上の差」をイヤと言うほど見せつけられた。
なお、エイシンフラッシュは土壇場で三浦に乗り代わって4着になったが結局のところ3番人気の馬を4着にしただけのことであり、急な騎乗の割に頑張ったことは認めるものの乗り代わりの時点で馬券対象から外れたことには違いなく、決して褒められるべきものではない。

言うまでもなく、技術的にも一流外人ジョッキーに競馬学校の乗り役が勝てないのは当然のことである。だが、それにも増して問題なのは“競馬学校出の乗り役たちがみな1着を目指すという目的意識(執念・覇気)に欠けていること=競馬学校出の乗り役は誰もが勝負弱くなっている”ということである。

では、なぜ現在の競馬学校出の乗り役は勝負弱くなってしまったのだろうか…

思うに、現在の競馬学校出の乗り役たちは“馬の乗り方にのみ意識を取られて馬の能力を発揮しきれない=本質的に馬の能力を把握していないので馬の脚質に頼って騎乗することしかできない”からと推察する。
よりストレートに言うなら“馬の脚質通りに乗りさえすれば結果は関係ない=別に1着じゃなくても良い”という意識で騎乗しているということである。
だからこそ、いざ上級ジョッキーとの競り合いになった時、馬の能力で優っていながらことごとく競り負けてしまうのである。
要するに、展開や位置取りなどの段取りばかりに気を取られ、その先にある馬を実際に1着にするのに必要な技術対応レベルに達していないのである。

ちなみに、とある乗り役が『僕の仕事は馬の能力を発揮させること』と勝利インタビューの度に常々言っているが、たしかに乗り役としての志や旨としては当にその通りであるが、それは「あくまで土台であって目的ではないこと」を認識してないとしか思えない。
なぜなら、「本物の騎手」であれば、馬の能力を発揮させた上に結果を残すのが目的であることを知っているはずなのに、この発言をする乗り役本人が最もここ一番で馬を勝たせてない存在になっているからだ。
おそらく本人も頭では分かっているのだろうが、実際の騎乗でこれを実行できないからには軽口と受け取られても仕方ないだろう。だからロードカナロアを降ろされるのである。

ここで一つの逸話を挙げる…

ミスターシービーで3冠騎手となった故・吉永正人氏が、自らはダービーでの乗り馬がない年に人気薄馬でダービーに出る若手に対して『ダービー、頑張れよ』と声を掛けたところ、その若手は、温厚で知られていた吉永氏であったこともあり、謙遜しつつも『でも自分の乗る馬は勝てるほどの馬じゃないですから』と気軽に本音を応えた。
ところが、それまで温和だった吉永氏が急に様相を変え、『いくら人気がなくてもレースに出るからには何万分の1か知れなくても勝つチャンスはある。絶対に勝つ気持ちで乗らないとダメだ!』と厳しい口調で言い渡したという…

自らは乗る馬がなかった悔しさも勿論あったろうが、それでも温厚で知られた吉永正人氏ですら“どんなに望み薄の馬でも常に1着を目指して乗る意識を持っていたこと”を知らしめる逸話である。

「本物の騎手」とはこうした心構えを持つ者のことであり、だからこそスポーツマンでありアスリートと呼べる職業なのである。つまり、常に勝つことを意識している者だけが「騎手」と呼ばれるに相応しいのである。

もちろん常に勝ち続ける騎手など存在しないので、時には不可解な負け方をする時もあるだろう。まして現在の競馬は常に多頭数の中で行われる機会が多く、馬の能力差も接近しているため複雑さの度合も一昔前( 騎手が調教師の管理下にあった頃 )などとは比較にならず、それこそ鞍上の技量差がなければ勝星を積めない状況にある。
だからこそ、たとえ普段は中々勝てなくてもここ一番できちんと結果を出した乗り役には賞賛が贈られるのである。

こうした状況を生んだ主たる原因が、本来「職人技」である騎手という職業を誤まった認識で指導している競馬学校の教育の在り方にあるのは否めない。
しかも、それを助長するように「ある特定の乗り役を擁護する判定が行われている」から始末に置けないのである。
スミヨンが妨害したとしてあきらかに脚色の劣っていたローズキンダムが繰上げ優勝したり、またジェンティルドンナの鞍上が危険騎乗したとして2日間の騎乗停止処分にしたのに、マイルCSで武豊が横の馬を弾いた事象は審議にすらならなかったのがその好例である。

では、どうすれば今の勝負意識の低下と騎乗意識を向上できるか…

まず、対象者によって差別があるとしか思えない審議を公平な判断を持って行うこと。
これは「正しい状況認識を持って事に当たる」という当り前のことを判定するだけの簡単なことである。

たとえばジャパンCの岩田康は、逃げ馬の直後から狭い所を突いたためオルフェーブルを横に弾き出したということで長い審議の末に降着にはならなかったものの2日間の騎乗停止を受けたが、そもそもジャパンCの審議の原因は、ジェンティルドンナの方が内側に位置取っていたにも拘わらず外からオルフェーブルが馬体を寄せてきたために起こった事象である。正直な話、外から馬体を寄せたのに弾かれた池添の技量に呆れるほどで誰もが『審議対象は逆じゃないか?』と思ったはず。
ところが、発表から審議対象はジェンティルドンナの方であり、「行司差し違え」どころかそのまま岩田康が騎乗停止を受けたことに誰もが「岩田康は差別された。競馬学校じゃないから!」と考えてしまうのも当然だろう。

その逆にマイルCSでは、武豊が馬群を割った際に起きた馬の横弾きは審議にもならなかった。
たしかにマイルCSの横弾きを審議対象にしなかった判断は正しいものだと私も思う( 最後の直線で横並びになった中から抜け出す際に馬体が接触して横に弾かれることなど起こって当然の事象…ある意味弾かれる方の馬&騎乗がぬるい証拠 )。
それでもジェンティルドンナの行為を長い審議対象にするのなら、罰則はさておきマイルCSのサダムパテックも審議対象にすべきだったはず。少なくとも武豊が馬群を割った際に起きた事象で接触が起きたのは事実であり、誰もが「武豊は競馬学校だから審議の対象にもならない」と思って当然である。

公平な観察眼で競り合いを判定する意識が曖昧どころか偏見があるのでは、特定の乗り役以外の者が不公平感を覚え、疎外感からやる気のない騎乗を誘発することにもつながるだろう。
その意味では、四位の油断騎乗による30日間の騎乗停止処分も不公平さが招いた事象と言えるかもしれない。【言語道断ではあるが!】

こうした「論外な出来事」を無くすためにも、まずは自らを律し意識を改めねばならないだろう。

次にしなければならないことは上記よりも簡単である。
それは、あきらかに優遇された馬に乗っている特定の競馬学校の乗り役に対する恩恵姿勢を改め、乗り役の起用判断を厩舎と馬主側に一任することである。

現在、外国人騎手が競馬学校の乗り役の職分と思われるところまでどんどん侵食している状況にある。これは間違いなく馬主の意向によってより勝てる可能性を追求した結果であり、競馬学校の乗り役が如何に未熟であるかを最も証明しているものである。
そこで苦肉の策として管理者たる主催者が、競馬学校の上位乗り役に配慮して優秀な馬に騎乗させていると思われるが、先述の曖昧な審議よろしく、その特定の乗り役たちが安定した騎乗を保証されることで勝負意識に欠けているためことごとく競り合っても負けてしまっている。
その好例が今秋のG1戦の結果であり、要するに、下手に甘やかしたがために乗り役全体のレベルが低下しているのである。

当初は、勝たなくても食える身分であるのが問題と考え、乗り役の賞金配分を削るのが速攻策と思ったが、特定の乗り役優遇が続くからにはそれでは騎乗レベルを上げることにならず、それどころか単に格差を広げるだけになり、下手をすると青木の訃報のような事態を余計に引き起こすことにもなりかねない。
ならば、より結果を出さねばならない状況に乗り役全体を置くのが一番であり、それにはより馬を知るためにも乗り役に日々厩舎に足を運ばせるのが一番であると考えられるだろう。
厩舎に足を運び、厩務員と触れ合って馬の特徴を確認し、調教師のみならず馬主を納得させるだけの日々の努力を怠らないことで自己の技量を向上させ乗り役全体のレベルアップを図るということである。

これの究極例として挙げられるのが、ディープブリランテをダービー馬にすべく厩舎=厩務員と膝詰めまでした岩田康の行いだろう。
ディープブリランテがダービー馬になれたのも、騎乗停止中を同馬に費やした岩田康の行いにあったことは騎手界ならずとも誰もが認めるところである。
ただでさえ技量上位の彼が勝つことに集中するのだから、競馬学校の乗り役がどんなに馬に恵まれていようとも彼に勝てなくて当然であるし、ましてや勝たねば食えない外人騎手に勝とうなどお笑い種でしかない。

過去に戻れとは言わないが、より馬に触れ、より馬の特徴を掴み、より厩務員などと交流を深めることで勝つために騎乗する意識を養うのが最良策と思う次第である。

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ワールドエース故障について

とどのつまり因果応報

今年の日本ダービー①人気で4着だったワールドエースが左前脚屈腱炎を発症し、年内は競走を見送り治療に専念する・・・・・

無事であればセントライト記念を目標に調整されていたとのことで、この逸材までもがより酷い故障に発展するという憂き目に遭わされたことは大変残念な思いがしてならない。

故障の要因は色々考えられるが、同馬の場合、ダービー終了後数日経ってから脚元の故障が発表されたことからも高速馬場による脚への負担だと思われた方が多いはず。

だが、私にはこの高速馬場の問題は、原因の一端ではあるが二の次だとしか思えない……私には、故障を引き起こした最大の要因は、「ユーイチがワールドエースに騎乗したせい」としか思えないのである。

今回のワールドエース故障によって、ユーイチはたった2年でクラシック有力馬を3頭【レーヴディソール、ジョワドヴィーブル、ワールドエース】も潰しているからだ。それもクラシックで1冠も獲ることなしでだ。
ただし、これだけなら「運が悪い…偶然…」と考える方がいて当然だろう。
しかしながら、私がユーイチの騎乗のせいだと言うのは、上記の潰した馬たちにおける彼の騎乗ぶりそのものにある。
これは誰もが合点のいく事柄だと気付くだろうが、彼は優秀な馬になればなるほどドンドン馬の脚質を差し・追い込み型にしてしまう。おそらく(間違いなく)、“技術不足から馬群を捌く技術に欠けるので、届かずとも複勝圏を確保するために後方から他馬を抜いていくという馬に負担を強いる乗り方しかできない”からだ。それが祟って馬にムダな負担を与えてしまうことで故障するとしか思えないのである。

ここで好例となるのが、私が何度も取り上げている“阪神大賞典で池添がオルフェーブルを御せなかったこと”であり、周知のように阪神大賞典時の池江厩舎は、今後のこと(凱旋門賞挑戦)を考えて先行競馬を試みさせた訳だが、最悪にも騎手が馬を御せなかったために豪脚を使いながら取りこぼしただけでなく、その後の天皇賞で大惨敗する要因まで作ってしまった。
これこそ、如何に騎手たちが普段から安全策として後方から馬の末脚に頼った競馬をしているかを意味している好例である。

それでも、まだ池添の方は馬を故障させなかったこと、ちゃんと大レース(3冠+宝塚記念)を勝ち切ったことで責任は十分果たしているのは幸いと言える。
だが、ユーイチに関しては潰した3頭全てが逸材だったにも関わらずどの馬も大事なレースで勝たせることすらできなかった。(ワールドエースに至っては皐月賞・ダービー2つともコカすというおマヌケぶり)
これに比べれば、「池添がオルフェーブルを春天で凡走させたことなど小さな過失に過ぎない」とまで言えるだろう。【池添に馬を先行させようと考えた池江厩舎の指示ミス…そんな技量のある騎手は武豊が干された今の競馬学校卒の者たちにできる者などいない。だからこそクラストゥスやベリーなどの1流半外人騎手に好き放題馬を持っていかれるのである。彼らは技量は未熟でも馬を御すことはできるから!】

もちろん近年の高速馬場も故障の一端を握っているのは間違いない。だが、何より懸念されるのが、“故障を誘発させる騎乗しかしてない騎手の責任”と“そんな騎手を起用した調教師の責任”である。
しかも、これらはどちらも主催者が管理統括していることから、あきらかに贔屓して有力馬を回し続けている主催者の意向・思考が間違っていることを示唆していると断言する!

いくら自分たちが管理する競馬学校卒たちを優先的に勝たせねばならない(騎手育成の存在価値を落とさないことで多くの管理特典を維持するため)とは言え、馬の能力に見合わない親の名声のおかげで騎手をやっていられる者を優遇しすぎるからこのような故障が起きているのだとなぜ気付かないのか不思議でならない。

今回のワールドエース故障は、こうした弊害が生み出した「因果応報」であるのだと私には思えてならないのだ!

せめて同じヤラセでも、誰もが納得できる状況と相応の騎手で行って欲しいと願うばかりである。【…と言うか、せめて馬群を捌けるようになってから「武豊の二番煎じ」を履行してもらいたい!】

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騎手の価値が変わった日

悪夢!祐一が重賞3勝した週間

競馬には何が起こるか分からない
名言として残されるこの言葉を今回ほど最悪の形で見せつけられた週はない。何しろ一節(土日)で行われた重賞すべてを福永祐一が勝つという結果になったからだ。

たしかに、今回の結果は“馬の厩舎が一流だから”と理由付けすることはできる。トゥザグローリー(②人気)、ストロングリターン(②人気)、ストローハット(①人気)とすべて上位人気馬であり、勝つこと自体は何ら不思議でない。
だが、だからと言って“それが福永祐一を起用すべき理由”にはならない。なぜなら、彼がどんなに勝星を積んでも、本来、一流であるなら当然持っているはずの”自らの技量で馬を勝利させるレース判断や馬群さばきのテクニック”を彼は一度も見せたことがない(=一切持ち合わせていない)のは誰もが認識しているからだ。

すでにベテランでありながら、彼は本物の一流騎手ではないという明確な証拠を数多残している。にも関わらず、池江寿や堀のような現在東西のトップクラス厩舎が起用し続けているのが不思議でならなかったが、今回の結果を見てその理由がようやく分かった(=思い知らされた)気がする…

良い馬を抱えている厩舎は、福永祐一が彼以下の世代騎手の全面的アシストを受けられることを知っているから彼を起用しているのである。
要するに、厩舎として勝星を積むために福永祐一という存在を利用しているのであり、主催者が誰を騎手界のトップに位置づけたいかを把握しているのでその意図に沿った騎手起用をしているということだ。
(=昨年の池添もその一人…競馬学校出は全員該当!)

現在の主催者(JRA)は、福永祐一を騎手のトップに位置づけることで“歴史ある競馬を次世代につなぐ夢を演出してファン層を広げる=売上げを高める手段を図っている”のである。
要は、「名手の子は名手」という武豊の2番煎じを実行しているのである。

ただし、福永祐一は父・洋一の1/10、武豊の1/3しか実技量を持っていないため、父はもちろん武豊のような記録を打ち建てることはできない。
これをよく知る主催者は、父・洋一が「新馬勝ちの名人」と称えられたことを息子になぞらせ、今回のような何度でも同じ馬が出れる格下G1レースや重賞を固め打ちさせることで競馬ファンを惹きつけようとしているのである。もちろん彼は上手くないので能力ある馬でないと勝てないのだが…
(=まともな騎手眼のある人にはヤラセとしか映らなくても!)

このことをよく分かっている池江寿や堀厩舎は、こうしたレースで福永祐一を起用することで他の騎手が全力騎乗できないようにして勝星を積む厩舎戦略を取っているのだ。
(=これからすれば父・洋一と親交のあった松田博が彼を起用するのは義理・人情での起用と思えるので可愛く感じられる。だから良い牝馬がことごとくコケるのだろう!)

今回それを証拠付ける好例が、3着にコスモセンサー(松岡)が残れたことだろう。要するに「何が起こるか分からない」を演出するために西園厩舎の3番手なのに唯一競馬学校出である松岡騎乗馬を馬券に残させたのである。つまり、今回の安田記念で本気で騎乗できた騎手は誰もいなかったということだ。
せいぜい頑張れたのが2着になったグランプリボスだろうが、その2着でさえも同馬の過去のG1勝ちが主催者の意図しない騎手での勝利だったからに他ならない。
そもそも内田博が、福永祐一と競り合いで本気騎乗で追い負けるなど彼の騎手技量からしても有り得ない。なのに負けたということは、祐一騎乗馬がバカでも勝てるほど能力的に抜けていたからか、もしくは祐一を勝たせるために内田博と言えども本気で追い切れないレースをしたという証拠である。

これらの事柄から類推されるのは、今後の中央競馬ではどんな達人であっても主催者が一押しする騎手の乗る馬には先着できない仕組みになるということ!

これまでは、勝つための技術に長けた騎手(本当に上手い騎手)が勝星を積み上げるというごくごく当然の仕組み(競馬がスポーツとして成り立っている大基本)であったが、これからは、どんなに未熟な騎手でも主催者の意図する競馬に沿っている起用なら充分馬券になれる結果が多数出るだろう。
つまり、早ければ来年にも蛯名正義や福永祐一がダービージョッキーになれるだろうし、今春の天皇賞の石橋脩やNHKマイルCの秋山のように並みの地方騎手の足元にも及ばない者でも競馬学校出なら重賞勝ち・G1勝ちができるレースが頻発することになるはず!

ただし、そんな未熟騎手には特定の条件がついて初めて勝つことができることだけは念頭に入れておかねばならない。
*裏開催で勝星を積んでいるだけではダメであること。(松山はまだ早い)
*少なくとも毎年重賞勝ちの一つは勝っていなければならないこと。(秋山が該当)
*デビューから主戦として騎乗していること。(クラシックの基本)
*突然回ってきた勝機を逃さないこと。(2着ではダメ)
*引退間近で用意された馬がいること。(過去はこれが大勢だった)
…などなど!

一つ確実に言えるのは、もう騎手を予想の中心で考えてはならないということ。何しろ騎手の価値(技術第一主義)が変わってしまったのだから!

このことから、もう感動するレース(今年のダービーのようなレース)は起こらないということになるだろう。何しろ今後はすべてのクラシック優勝馬が主催者の描く既定路線に沿ったものになるからだ。
言わば、本当の意味でドラマチックな競馬がなくなった瞬間が2012年安田記念なのである。
今後このレース週間は、福永祐一がその節の3重賞を独占したとして競馬史において「騎手が凡人でも務まるようになった悲劇の日」として語られるようになるだろう!

せっかく日本の生産界が世界に通用する馬の生産ができる時代がやってきたのに、一番大事な騎手が世界に通用しない者しかいないなど悲劇以外の何物でもない!

この責任はすべて今の主催者にある。
騎手を育成するとしながら技術ではなく血筋によってあからさまに不公平な騎乗配分を行っているからだ。
(ファンは別に競馬学校出じゃなくても良いと思っているのに、主催者は下手でも競馬学校出を優先させねばならないと思っているので。何しろ国費で育成している騎手たちなので彼らが不要とされると国費が使えなくなり、甘い汁が吸えなくなるから!)

遠からずJRAは、東京電力の天下り連中の二の舞を演じることになる…
馬主離れを防ぐのに外人騎手に頼るしかない現状を作ったのが自らの落ち度であるからには、時期に世界の一流ジョッキーたちに日本競馬が蹂躙されるからだ。事実、もうすでに蹂躙されていると言えるだろう。

デビューから甘やかされた騎手が勝つ世界。これが今の騎手界!
これ以上の悲劇はない…
(代わりはいくらでもいることだけが救い…だが、世界に通用しなくて当然である!)

読切感謝 m(--)m ++++++++++++++++++++++++++++++++++

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騎手評価…柴田善臣

クラシック未勝利の騎手会長?

競馬学校第1期生にて騎手会長を務めた現役騎手の重鎮。
ズバ抜けた騎乗特性はないものの、人気薄を人気以上に走らせることができ、堅穴両面で安定した騎乗のできる騎手である。昔流に言えば、「当たりの柔らかい騎手」と言えるだろう。

彼に関して技術面での注文は何もない。その気になれば、馬を好スタートも出遅れさせることもできるし、その気になれば、相応に馬群を捌く技術も持ち合わせているからだ。
比較対象するにはおこがましいが、こと騎乗技術に関しては、叔父の柴田政人の現役時代より上手い騎手である。

そんな騎手でありながら、彼には不思議な事象がある。それが、騎手会長経験者でありながら未だに「クラシック未勝利」であることだ。それも、牝馬クラシックすら獲ってないのである。
これは、結果的に未勝利である点は同じでも、福永祐一がその騎乗技術の未熟さによって牡馬クラシック未勝利であるのとは正反対の事象である。

過去において、騎手会長を務める・務めた者は、その技量・実績もさることながら、騎手全体のバランスを取るという大仕事があるために勝星を積めない状況に陥ることが多々あった。具体的に言えば、騎手に関わる冠婚葬祭などの公事に追われるため騎乗に集中できないのだ。
しかしながら、騎手会長を務める・務めた者で3冠レースの一つも取れなかった騎手を私は記憶しておらず、これまでの常識からすれば「騎手界の七不思議」と呼べるものである。

推測だが、「柴田善は次節に恵まれなかった騎手」と言えるのではないだろうか…
彼がデビューした頃、世間はバブルの真っ只中で騎乗馬にこと欠きはしなかった。だが、主催者は、それまでの「東高西低」から「東西拮抗」の目論みによる売上げ向上のため( 当時は関東の競馬人気の方が高かった )、また、それまで厩舎に縛られていた騎手の立場強化による競馬学校設立の意図のため( これは主催者の意向が馬主と深いつながりのある厩舎に競馬を左右されるのを防ぐ意味がある )、新規高額馬主を関西で開拓し、自然と関西に良い馬が流れる傾向を作り始めた時だった。
その後、彼が関東騎手の代表として実績を積み上げた時、すでに騎手界は武豊時代に移り、当初「東西拮抗」を目論んだはずの競馬界は、完全に西高東低になってしまい、「叔父が柴田政人」というだけで関西との縁が薄い彼にはクラシックを獲れるような馬が回ってこない環境になってしまった。

これだけなら彼を「技量のある不運な騎手」と評しても間違いではないが、残念なことに、彼自身が競馬学校第1期生という代表的立場から、事故を防ぐための安全な騎乗という主催者観念に左右されてしまい、おかげで、若い頃に見せた鋭い追込みや果敢な逃げをほとんど見せなく、否、できなくなってしまったのが牡馬クラシック未勝利という形で表れているのだろう。

それでも私は、彼の技量が横山典や蛯名に劣るものだとは決して考えておらず、競馬学校卒の関東騎手だけで比較するなら、横山典弘よりも馬に負担を掛けない騎乗ができ、蛯名正義よりも追える騎手だと思っている。ただ、彼らより自由度に欠けてしまったのが惜しまれるばかりで、逆に、責任が重くないから横山典や蛯名は勝たせてもらっていると思って間違いないだろう。

その意味でも、彼が牡馬クラシックを勝った時が彼の引退の時ではないかと思うが、そのためには、何時有力馬に乗せてもらえるかが問題だろう…一体、誰の馬が回されるのか、楽しみでならない!

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上手い騎手の基本

理詰めなら馬群を捌ける者

上手い騎手、上手さのある騎手の基本となるもの…それは「如何に馬群を捌けるか」に尽きると思う。どんなに馬の能力が秀でていても、最後の直線で前が壁になったり、もしくは馬群を捌くのに手間取ったりすると勝てないことは周知の通りだからだ。

この観点からすれば、本来競馬において理想的な展開とは、自らペースを作る「逃げ切り」であると言えるのだが、「逃げ切り」は馬の能力をモロに露呈する脚質であり、しかも距離が長くなればなるほど自滅覚悟の他馬に競りかけられる不利も背負っているため、力量接近の現代競馬においては、逃げ馬の逸材が登場しないのも至極当然だろう。

したがって、騎手の目指す理想の展開は、「馬群の不利を受けない先行競馬」ということになる訳だが、馬の能力差の少ない現代競馬では、馬の脚質だけで理想の展開に持ち込めるほど甘くなく、下手な騎手になるほど無為に脚を使って直線でタレてしまうのが関の山となっている。

過去にこの無為な脚使いをよくやっていた代表例が、先日調教師を引退したG調教師や「カフェ」で有名なK調教師の息子2人。その他、N谷、M田、K淳、F康、S井、D宰、I橋M&S、そして、ひと昔前のS哲、K宏などの伸び悩み組と称された騎手たちである。

S哲やK宏は、今ではそこそこ控えることもできるようになったが、元々が追える腕や決め打ち騎乗の判断力がないので、所詮は能力ある先行馬に騎乗しないと馬券になれないのが惜しまれる。

裏返して考えるなら、差して際どいレースのできる騎手が「上手い・上手さがある」と言え、引いては、差して危険な騎乗になったとしても「それこそ技量の裏返し」と言えるだろう。スミヨンが失格になっても誰も彼が下手だと思わないのと同じである!

私が福永祐一を【史上最大のヤラせ騎手】と評価する理由がここにあり、彼は、関東のヤラせ騎手の代表たる三浦皇成よりも追う技術がなく、しかも馬群を捌く能力にも欠けているため、できることと言えば、せいぜい決め打ちの差し、もしくは逃げ切りしかできない。だからこそ、先に挙げた無為な脚使いしかできない騎手たちが乗っても勝てる馬でしか結果を残せないのだろう。【 昨春のレーヴディソールや今秋のジョワドヴィーヴルなど誰が乗っても勝てる馬。もし武豊が馬主と揉めていなければ東西リーディング2位に居られる訳がない…まるでボクシング界の誰かさんのよう。実力ではチャンピオンかどうか怪しいボクサーと同じ! 】

とは言え、馬群を捌ける騎手が少ないのも現状にあり、今年のジャパンカップダートで和田くんが馬群を捌いて2着に来た時、「生まれて初めて和田が馬群を捌くのを見た!」と驚愕させられたほど。それほど今のJRA騎手、特に競馬学校卒の騎手たちは馬群を縫う技術に欠けている。

強いて馬群を捌けるJRA騎手を挙げるなら、関東では、柴田善( ただし、最年長なのでもう滅多に見せてもらえない… )、横山典( 彼の場合は馬群を捌く前に良い直線で壁を作らない位置取りが上手い。また、差し・追込み時の決め打ち判断に長けているのが特徴… )、吉田豊( ただし、彼の場合は厩舎に恵まれないのが問題… )、そして、内田博騎手の4人である。

これら4人からすれば、蛯名は位置取りの上手さはあるものの追いが甘く、松岡・田辺・三浦も馬群を縫う技術がまだ甘いだろう。

関西では、すでに世代交代の片棒を担いでいる武豊と安藤勝は抜きにして、岩田康( 彼の場合は横山典に近く、好位で折り合わせる技術に長けているのが特徴で追込みだとやや不安な面あり )、ハマったときの藤田と川田( ともにハマらないことがほとんど…今年の春天の藤田はハマったが… )。

つまるところ今の関西騎手では、安藤勝と岩田康を除き、残り3人は他の騎手たちより上手く捌けるというレベルであり、馬の脚質、枠順、スタート位置によっていくらでも結果が変わってしまう可能性が高い。

これらの好例となったのが今日の阪神カップで、見事に馬群に塞がれて墓穴を掘ったのがリアルインパクトの福永とオセアニアボスの石橋脩であり、平気で追うのを諦めた福永には「やっぱり」の思いしか残らなかったが、後方で競馬を進めて馬群を割れずにモタついた石橋脩のレース運びには捌き以前に「何やってんの?」と思わされたほど。【 たしかにジャガーメイルを一流馬にできなかっただけの腕前だ… 】

何より、勝ったのが吉田豊、2着がデムーロ、3着が武豊だったことで、「如何に馬群を捌けるかがデカいか」が分かるだろう!

それにしても、池江寿、松田博、堀などの上位厩舎が、どうして福永祐一に良い馬を回し続けるのかが不思議でならない?…もしも、「これが騎手の実力に見合った割り振りだ」というのなら育成意識の低さに甚だ呆れるばかりではないだろうか。【 これは間違った指摘ではないはず! 】

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騎手評価…福永祐一

福永祐一=不思議な騎手

福永祐一という騎手ほど評価のし難い者はいない。なぜなら、彼の騎乗に関しては何一つ抜けたものが見当たらないにも関わらず多くの勝星を上げているからだ。

強いて挙げれば、「スタートは無難」ということだけなのだが、それでも彼と同等にスタートが切れるという者であれば、池添、藤田、四位などのダービージョッキーたちは無論こと、藤岡佑、浜中、川田の中堅ジョッキーや高倉、嶋田純でも充分許容範囲であり、文字通り「無難」でしかないのである。

「では、何故に彼は今年全国リーディングのトップ争いをしているのか」…それは、彼の乗せてもらっている馬の能力が破格であるからだ。

「では、何故に彼は能力ある馬に騎乗できるのか」…それが分からないので不思議な騎手であると評価するしかないのである。

本来、騎手にはそれぞれ長所というものがある。

例えば中舘・武豊騎手であれば、「スタートの上手さ(=馬の脚をスタートから二の脚まで無駄なく使わせられる)」がある。蛯名・柴田善騎手であれば、「位置取りの上手さ(=道中から仕掛け所までの位置取りで馬に負担をかけない)」がある。横山典騎手・三浦くんであれば、「追いの上手さ(=矯めた馬の脚を最後まで使わせる)」がある。

しかしながら、彼にはその特徴が一切ない。たしかに際立った欠点がないとは言えるかもしれないが、他者より抜けた部分もないのに岩田康騎手に匹敵する勝星を挙げているのはとても解せない話である。

だからこそ、「馬の能力で勝たせてもらっている騎手」としか評せないのである。

デビュー時、若手騎手たちが自身の目標として先輩騎手の名を挙げるが、私の知る限り、『福永祐一さんです!』と応える新人騎手にはお目にかかった覚えがない。できれば、そんな新人が出て来て彼の良い部分をコメントしてくれれば良いのだが、残念ながらそんな奇妙な新人を見たことはない。

彼を好評価するなら、「教科書通りの騎乗が出来る」というのが一番かもしれないが、最低限の騎乗が出来るようになったからこそ競馬学校を卒業できる訳で、その点は他者でも充分に騎乗できるはず。

私的評価であるが、私の見る福永祐一という騎手の技術レベルは、【 佐藤哲の追いの甘さ< 彼 >三浦の先行競馬の下手さ 】であり、岩田康・安藤勝・内田博・(戸崎圭)・武豊までを一流とすれば、中舘・柴田善・横山典・蛯名・吉田豊・松岡・田辺・藤田・四位・幸・池添・川田・浜中らの次点騎手、後藤・石橋脩・吉田隼・三浦・佐藤哲・藤岡佑・和田・秋山らの次々点騎手らの一人でしかないと思えてならない。

良くて平均的な技量しかないのに勝星は一流クラス…私でなくとも、彼が不思議な騎手であると思うのは当然ではないだろうか!

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ヴィクトワールピサがドバイWC優勝

世界にもあった「人情相撲」に感謝しつつ…

角居厩舎のヴィクトワールピサがドバイワールドカップで優勝した……正直『まさか!』の思いであり、オールウェザーとはいえダート競馬であるからには日本の芝競馬で好走している馬たちが勝てるなどとは思っていなかったからだ。

たとえば、この優勝が凱旋門賞で好走したナカヤマフェスタであったならここまでの驚きにはならなかったろう。オールウェザーに向いているといわれる欧州芝競馬で好績を残しているからだ。

しかしながら、それでもヴィクトワールピサの優勝は喜ばしいかぎりであり、世界に通用する馬の育成を目指していた日本生産界のこれまでの努力がここで華開いたことに深い感慨を覚えずにはいられなかった。

ただし、喜ばしい思いの中で一つだけ不可解な思いが残った。それがトランセンドの2着である……トランセンドはたしかに現在日本を代表するダート馬である。だが、はっきり言って世界に通用するほどの力量を持っているとは全く思っていなかったし、今でも思っていない。しかも鞍上が藤田くんのままだったので、『たとえ日本馬の好走があったとしても同馬は日本馬の中では最下位か最先着のどっちかだろう』としか考えていなかった。

本来ならそんな馬までが2着に頑張ったことは喜ばしいことなのだが、同馬の好走が却って「人情競馬」を際立たせる結果になってしまったのが胸に引っかかったのだ。

しかし、私は「この結果が八百長である」と考えてはいない。良い意味での人情相撲、この場合は「人情競馬」と呼べるものだとも思っている。

八百長と人情相撲・競馬の違いは、自らの損得を捨てているのが「人情~」であり、誰かの損得が優先されてしまうのが八百長なのである。いうまでもなく両者は似て非なるものなのだ。

ただし、現在日本の競馬が外人ジョッキーに席捲されているのは周知のことであり、先日の高松宮記念でも同じ好スタートを切りながらジョーカプチーノの方は不利を受けたとして惨敗を喫し、キンシャサノキセキは史上初の連覇を果たした。この結果にジョッキーの技量差が絡んでいることは誰もが認識できるように、ジョッキーの技量差が如何ともし難いのは現実なのである。

凱旋門賞のナカヤマフェスタとヴィクトワールピサのように、馬の調子はさておき、ともに競馬学校出の日本人ジョッキーだけだったらトランセンドの好走を不思議に思わなかっただろう。だが、ブエナビスタのムーアを差し置いて2着したのがトランセンドの藤田なのである。馬でも劣り、ジョッキーでも劣っていること明白なのにこの結果とは、これが人情競馬でなくて何であろうかと思ったのだ。

レース後のコメントで「ここまで(少差2着に)来れたので悔しかったが、相手も日本馬なので…」と述べたそうだが、それが余計に日本のジョッキーが如何に置かれた立場で結果が左右されているかを象徴しているようである種の「虚しさ」を感じさせられた。

再来週から春のクラシックが始まり、その先陣を切って桜花賞が行なわれる。

おそらく事故さえ起こらなければレーヴディソールが完勝するであろう……大した技量もない鞍上が勝つことになるのだが、ここで明言しておくが、【今のレーヴディソールの実力なら鞍上がもっとマシならば牡馬クラシックに行っても勝てる】はず。今の同馬の能力はそれほどズバ抜けており、特にトライアルで見せた馬の賢さ(4コーナーから追い始めたジョッキーの動作をあざ笑うかのように「ここで抜け出せば勝てる」とばかりに直線半ばになって本気で走り出した姿)は圧巻だった。.

しかしながら、シンボリルドルフに岡部が騎乗したように、義理人情を超えたジョッキー技量優先で良い馬により上手いジョッキーが配されるようにならなければ日本のジョッキー技量の向上は望めないだろう。事実、「武さんの馬に乗れば10回中9回勝てる」などと公共放送で述べたニセ天才のような馬鹿者が増えるだけでなく、今以上に競馬離れに拍車を掛けることになるからだ。

せっかくの優秀馬を無駄にしないことにならないか……一日でも早く「勝つための乗り方を知っているジョッキー」に変わることを願うばかりである。(馬の能力を引き出すのがジョッキーの仕事などと彼が述べるとつい笑ってしまう…勝つための乗り方を知らない者の言葉にしては上出来だから!)

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